見性に至る道 「誰かが現れて人々が見性に至る術を見つけてくれたら有難い事です。それはブッダでさえ成し得なかったことなのです」
「キム氏は、実践可能な方法を用いて数多くの実践者を見性に導いていますが、私はそのことに対して喜びを感じます。 全ての人々に恩恵をもたらすダルマ(法)の繁栄と言えるのです」
「オープンハートは真に実りあるものでありまして、その二部構成(2PF)を実践することにより、即座に見性体験が引き起こされます。テーラワーダであれ大乗仏教であれ、従来の実践では、殆どの実践者が数年かけて見性に至ります。実践者による沢山の自己との格闘、それから実践に対する矛盾は、非常に早い段階で見性に導かれることで回避されます。だからこそ私は二部構成に対する熱い思いを持っているのです。二部構成は数多くの宗派で、大いに役立つ実践として用いられています。それはつまり、ほとんど全てのダルマ(法)の実践者にとって、見性は普遍的な目標であるからです。強力な後押しになります」
二部構成は、自分の煩悩を取り払うという点で、単純で効果的な方法で永続的な見性をもたらします。それは本来の自己の意識を認識し、自己の意識を体系的に観察することなのです。二部構成を実践することは、科学者が念入りな検査を行うことに相違ありません。それは自己の意識を詳細に観察することで、自分自身の心理状態を特別な方法で研究することです。 二部構成に参加し、あなた自身が実際に没頭することで、見性はもたらされます。見性は、あなたの心の意識レベルで引き起こされる故に、一時的なものとしてではなく、永続的な状態となるのです。二部構成は精神心理学的な手法であり、それは人の心に重要な変化をもたらすと共に、その人の人生にも重要な変化をもたらすものなのです。それは自己の意識の流れの中から最も大きな不満の原因を見つけ出すことを目的としています。慨すれば、見性とは、時の試練を得た精神的伝統における中心テーマなのです。 自己の意識の在り方に関するジレンマを主要因として直接扱う二部構成を実践するのは容易ですが、役に立つ助言を提供する見性に至った人または見性が何であるかを直接見知っている指導者と1対1で接する機会が与えられているので有益です。即ち、見性に導かれた際にその助言が問題を解消してくれるからです。従って、見性に至る分かりやすい一つの兆候は、もはや何かを探したり見つけたりする必要がなくなることです。それはそれらを探す人自体が解消されてしまったからなのです。大多数の真の法(ダルマ)の指導者は、変化が起きたかどうかをあなたに伝える能力を備えていなければなりません。 読み続ける前に、お願いが一つあります。あなたが持っている見性や精神性に関する憶測を一切捨て去ってください。これまで実践した瞑想、精神哲学書で読んだこと、教わった精神指導を忘れてください。完全に開けた心になってください。手荷物なしで再出発するのです。それが不可欠です。 二部構成のステップ:
私らしさという感覚が消えてなくなるまで、私という主体と客体の2つの状態を比較すること、それが実践の考えです。ある時点で自己肯定にとらわれることがなくなると、どんなに熱心に言おうが、自己肯定は空っぽの空間へこだまするだけになり、高い確率で見性に至ります。この段階に来ると、以前と比べ、あなたは特別な種類の寛容性、高揚感、快活さ、開放感を味わいます。二部構成を行う際、座っている状態で、黙って2つ方法を実践し、それを1日1、2、3回座する毎に、20~30分間かけて行うのが最適です。活動している間、こうして座している時間は、経過を辿ることと共に非常に重要なのです。活動している間は、その活動がどんなものであれ、私という主体と客体の2つの状態がどのように入れ替わるのかを書き留めてください。また、他の人々の周りに私達がいて、思いがけず強く、主体としての「私」が現れたら、それは、私達が持つ「私」という感覚が、他の人々に反応することに慣れているからなのです。これらの機会を利用し、意識的に自己または「私」を観察して下さい。 広々とした無私の心 二部構成の第一部では、すっかり緊張が解けることで、あなたの心の風景も移り変わることを説明しています。考えは消え去り、気持ちが落ち着き、雲一つない空のような心の空間が、あなたの心の中に生まれます。目で見て、耳で聞くことができますが、「私」、「自分」またはそれを経験する者は、そこに存在していません。そこでは直接知覚する「私」または所有者が存在しません。そこには広々とした心の状態があり、つまり、広々とした内なる状態があるだけなのです。自分の中にこうしたものを見つけ出すのが肝心です。誰にでもできます。そのような広々とした空間を1~2秒間垣間見るだけでも、あなたに何かしらの助けを与えてくれます。そうした空間が、いつでも完全な広さと透明さを備えている必要はありません。最善を尽くすだけです。静寂に包まれている時でも、活動している最中でも、一人でいる時でも、他の人々の中にいる時でも、広々とした無私の心は、どんな状況でも容易に認識できます。こうした広々とした空間を、それそのものとして受け取ってください。十分にリラックスするだけで、全ての疑問がその空間の中で消え去ります。この広々とした心の状態に何も付け加えないでください。 自己または自分を、その広々とした心の中に探し出すとしたら、それを見つけられますか?心と身体に何かしらの感覚を見つけたら、それが何であるのかを調べてみてください。そのような仮説が、あなた自身が持つ私らしさという感覚であれば、それは真に安定した在り方かつ不変の存在であるが故に、間違いなくどこかに見つけられるものでありますが、いつでもその広々とした心の中に存在しているのでしょうか?「自分」または「私」というものは、好き嫌いで揺れ動く心の中で思う以外に、他の方法で見つけることができません。心が澄み切って平穏であれば、「あなた」はそこにいないのです。 自分の考えに向かう心の状態 二部構成の第二部では、自己に向けられた感覚が自己肯定を通じて意図的に強化されたことで、非常に特異的な方法でその感覚を自覚することができました。自己に対する感覚を調べると、実際の「私」は、考え、感情、気持ちが一つの結び目でまとめ上げられた束であることを知ることになります。この結び目は、この世に生まれてから、沢山の経験と状況を通じ、時間と共に形作られたのです。そして、この結び目そのものが、私達が想像する私達の存在なのです。強いて言えば、私達は私達自身を創造し、そうすることで道に迷い、本来の住まいを離れたのです。私達は、こうした感情、考え、経験を私達の「自己」または「自分」だと想定しています。 二部構成の第二部を実践する際、自己の感情が混じりけのないものであり、不変で、安定的な性質のものであるかを調べる必要があります。自己で何かしらのものが不変であり、不変的な要素がいつもそこにあるのでしょうか? 単純に自己の感情を調べればいいのです。その中心で核となるものを直接見てください。 これらが二部構成の歩みであります。私という主体と客体の2つの状態を徹底的に実践し、私達が「自己」と呼ぶ、意識下の「事物」を認識するために必要なことです。やがて、二部構成を正確に実践することで変化が訪れます。それは長雨の後に、突然、空が明るくなって透き通るようなものです。突然、あなたの心が明るくなり、心のありようが楽になるのです。物理的な肉体でさえ、喜んでいる状態と健康な状態を感じているのかもしれません。 Open Heart-blog in Japanese, held up by Yuki Saka from Tokyo: https://openheartjp.wordpress.com/ 十分に堪能な英語で書かれた見性のガイダンスをお求めの場合には、オープンハートの校長兼設立者であるKim Katami宛にメールを送信して下さい: kimkatami@hotmail.com |